常奥の境!そこは山に限られ、昔から、人はその低いところを行き来してきました。名のある街道は、今は皆おおきな国道となり、村や里の姿は変わり、20年も行かなかったところは、その見知らぬ姿に外国へやってきたような、錯覚に陥ってしまいます。
悪いことに、立派な建物はなくなり、今様の安普請が多くなり、昔を思わせる建物もイミテ−ションが多くて、かつての重厚さが全くなくなっています。行政が建てた「箱もの」といわれる建築は、和風であっても、風土性を無視した大きいだけの安普請ばかりで、見ていて不愉快になります。
ふるい日本の鄙の文化に触れてみたいと思うときには、県道や村道に回らなければ望みをかなえることは、なかなか難しい時代になりました。そう言うところは、たいてい道もその集落で行き止まりのような処です。車の転回をするのも難しいし、人影も滅多になく、道を聞くことも大変なような処です。
常奥の境をごいっしょに歩いてみましょうよ!そのガイドは私「やまんば」さんがつとめましょう。太平洋に近い「勿来の関」から、小里街道(別名棚倉街道)の明神峠にかけての山の中に点在する山奥の里を旅していみたいと思っています。(2007/07/09)
アサギマダラ(2005/10 所沢市にて)
常奥の境を旅するには!
「常奥の境」とは「常州と奥州」の境のことです。言い換えれば、「常陸の国」と「陸奥の国」の国境のことです。
これから紹介しようと思う、太平洋岸の勿来の関から、山間の小里街道の明神峠にかけては、ほとんど山間部で、現われる集落は、所謂、「僻村」「寒村」であり、交通の便は極めて悪いところなので、公共交通機関に頼って旅をすることはできません。
徒歩か、自転車か、自家用車ででかけるしか、仕方がありません。海岸に近い地域は、集落と集落が近いから、まだよいのですが、山間に入ると処によっては、行っても行っても人家がありません。
徒歩であれば、日が暮れれば、暗闇の山野で野宿をすることになりかねません。徒歩で行く場合には、テントと食料・水の携行が欠かせません。
運良く、集落にたどり着いたとしても、宿屋、旅館、ホテルなど、滅多にないから、その集落で頼み込んで泊めてもらいたいと思っても、近頃のように、世情が悪く、人殺しや強盗ばかりのはやる有様では、泊めてくれる家は先ずないことでしょう。
従って、「常奥の境」を旅する場合は、自家用車で行く人も欲張らずに、宿泊施設のあるところまで行き着くことができるように、スケジュ−ルを作ることが重要です。
言いそびれましたが、「常奥の境」の地域は、茨城県と福島県にまたがり、行政区 画で言うと、茨城県側が、北茨城市、高萩市、常陸太田市、久慈郡大子町、福島県側が、いわき市、東白川郡塙町、東白川郡矢祭町などです。
いわき市と北茨城市の一部以外は、ほぼ旧水戸藩領ですから、ほとんど同じ方言で、ほぼ同じような農山村文化を持っています。興味深いことですが、どの地域にも交流の経路のようなものがあり、そこの行き来が慣例のようになっています。そこには、当然共通の文化があります。 (2007/07/09)