常奥の境を旅する旅は、自家用車や自動二輪車で走り回る人には、勧めたくないし、ういう方々には来て欲しくありません。また、山菜泥棒や山野草泥棒にも入り込んで欲しくありません。時間に追われる人やせっかちな人々にも来て欲しくありません。
現代のせかせかした下品な社会から、忘れられたような里、隠れ里を思わせる集落、その価値が分かる人にだけに、十分に時間をかけて、のんびりと、深くものを考えながら、旅をして欲しいのです。
そこにある恵まれた環境、豊かな森林、そして豊かな自然、どれ一つをとっても、みな、田中角栄の「日本列島列島改造計画」以来、日本人が贅沢と引き替えに、お金と引き替えに、粗末にしてきた結果失ってしまったものそのものだからです。
季節季節に山野を飾る草木と花、心豊かに暮らす素朴な人々、風土性の豊かな奥ゆかしい家々、多分そこには、人の心にしみる人情や素朴な文化が息づいているのにちがいありません。そんなところへやたらな者達が入り込んでは、里の人も迷惑だと思うので、その良さの分かる、心穏やかな、心にゆとりの十分ある人以外は入り込まないで欲しいと思います。
特に、お金儲けの亡者、「税金の私物化」を図る亡者どもの、「住民のため」「公共事業」という大義名分のもとに、環境破壊を続けてきた、あの悪魔の触手の及ばぬことを、何よりも願って居ます。
常奥の境を旅する!
ある日、北茨城の太平洋岸の田舎町中郷から山中の下君田という里へ出ました。大北川に沿う狭い道で、行けども行けども家はありません。人影もないし、車とも出会いません。
東京近郊では、とおに山桜の花も終り、葉桜となってしまったというのに、この谷では、周囲の峰にも、尾根にも、そして山腹にも山桜が咲いていました。イタヤカエデも花をいっぱいに付けています。
荒れ果てた山ではありますが、人の手が入っていないので、野趣がいっぱいで気持ちよく感じます。しかし、決してきれいな森ではありません。
随分前に舗装されたらしい道では、石組みも護岸もすっかり古びて、どこも苔が生えています。その下の渓谷を真清水が潺々と流れています。車から降りて、その心地良い音にも耳を傾けました。
人の通らないような処ですから、路傍には、カキドオシ、ヒメオドリコソウ、カントウタンポポなどが、美しい花を今を盛りと開いておりました。私一人のために宴を開いてくれているようです。
税を私物化する悪人等も、さすがに、人も住んでいない、ろくに車も通らない道で、大規模な土木工事をするのはきまりが悪いとみえ、「税盗人」の魔の手は伸びていないのでした。
この辺りの自然を楽しむ旅をするのも、今のうちかも知れないな、と思いながら、上へ上へと遡って行きました。行き着いたところは、家の数わずかな高原の村であり、高冷地帯である下君田と言うところでした。
「な−んだ、こんなところへ出るのか。」
と思わず、声を上げてしまいました。
下君田で、花園山から流れ出る流れと文添(ぶんぜい)と言うところから流れでる流れが合流して、大北川となって、今登ってきた山間を流れ下るのです。最後に、海岸の町磯原で花園川を合わせて、海へ流れ込みます。
(注)この大北川は江戸時代にはアユの名産地で、此処の産品とやや西方の里川
の産品は、水戸藩から将軍家へ献上されたそうです。(2007/06/22)
君田の里では
下君田の里から上君田へ出て、道を西北に採ると「大荷田」という小集落に出ます。旧高岡村と旧里美村の村境の、高岡村側の最後の集落です。江戸時代の書物にも出てくる典型的な寒村です。
(注)大能、文添、上君田、下君田、などは、昭和30年頃までは、茨城県多賀郡高岡村と呼ばれていました。戦後まもなく刊行された「高岡村誌」という本には、昭和10年頃までの、この村の生活や習慣が克明に記録されています。
作者が、村の中を歩き回って、調べ上げたものです。私達がすっかり忘れてしまった、古い村の習慣、しきたり、仕事、農機具、手工具、冠婚葬祭、生活ぶりを知る、素晴らしい手がかりになる、民俗学の書物です。
改めて、記録の大切さ、文物の大切さ、文化財の大切さを考えさせられました。そこに記録されているのは、貧しく、質素だった人々のことですが、そこから、僻地のさらに片隅で、慎ましく、分を守って、品位・品格のある生活をしてきたことが分かります。
さて、大荷田の集落を過ぎると道は杉山の中へ入り、登りになります。しばらく走ると右へ林道が分かれています。そこの角にニリンソウの群落がありました。
通りかかったついでに立ち寄ってみました。もう花の時期は過ぎていますが、葉が茂っているはずです。ところが、群落はすっかり荒らされてしまい、一昨年とは比べようもないほど、貧弱なってしまい、掘り跡も生々しいものがありました。
近頃、少々金持ちになった庶民が、鼻高々に高級乗用車に乗り、山に入ってきて、泥棒に変身するのです。草木を掘る、山菜を採る、果実を採るのです。他人のものを断りも無しに持ち去るのですから、紛れもない「泥棒」です。
その盗んだ草木で庭を飾り、調理して食卓を飾り、食事をするのです。あるいは、果実酒を作るのです。そこには、慎ましさも、品位・品格もありません。
これが、貧しくても慎ましく、品位や品格を重んじ、誇りを持って生きてきた、あの日本人の末裔なのかと思うと情けなくなります。多分、来年もう一度訪ねたなら、もうニリンソウは見られないのかも知れません。
盗んできたもので、庭をかざる、食卓をかざる、こんなさもしいこと、おぞましいこと、やめましょうよ!私たちは、世界でも指折りの豊かな国の住人なのですから!恥ずかしいでしょう。 (2007/06/22)